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現代において「夜這い」は、もはや存在せず、かつての文化となってしまいました。夜這いは、大正時代まで、農村を中心に各地で行われていた風習です。戦後も、高度成長期直前までは、各地の農村に残存していました。
農村における夜這いは、南北朝時代から鎌倉時代にかけて、村落共同体の構造の基本として定着したといわれています。夜這いは、男性が女性のもとに通うだけでなく、女性が男性のもとへ通うケースもありました。乱世で、村落共同体に自立の精神が高まり、若者組や娘組はそれらを動かす中核のエネルギーでもあり、夜這いは、若い男女の最高の歓喜の瞬間だったと思われます。
夜這いは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる行為ですが、決して強姦をすることではありません。好き合った男女が事前に示し合わせておき、夜中に男性が入ってこれるように、戸締まりを外しておいたりします。
誰かが訪れるのを待つ場合もあります。その場合は、受け入れられる相手であるかどうかを確かめてから戸締まりを開けることになります。受け入れられない相手であれば戸締まりを開けません。戸締まりを開けるかどうかが、性交同意の意思表示で、女性に拒否権がありました。複数の男性と関係した後、一番良かった男性と結婚するということもあったといいます。訪れる男性がいない場合は、父兄が村外の若者に頼むこともあったようです。
若者組(若者宿)と夜這いと娘組(娘宿)は、民俗学では三位一体で語られることが多いです。村落共同体における夜這いは、歌垣の名残を留める山遊びや野遊びなどの性的な遊びが移行したものといわれています。
そもそも各地の村落共同体においては、「一夫一妻制」という概念も希薄で、重婚や夜這いは当たり前でした。夜這いは、一夫多妻でもあり、多夫一妻でもありました。
かつての農村では、「村の娘と後家は若衆のもの」という村落内の娘の共有意識を示す言葉がありました。近代化以前の農村には若者組があり、村落内における婚姻の規制や承認を行い、夜這いに関しても一定のルールを設けていました。ルールには、未通女(処女)や人妻の取り扱いなどがあり、細かい点は地域によって差がみられました。
村落の掟に従う必要はありましたが、夜這い相手の選択や、女性側からの拒絶など、性的には自由であり、祭には拝殿や堂の中で多人数による雑魚寝が行われ、隠すでもなく恥じるでもなく、奔放に性行為が行われていました。なお、その共同体の掟に従わねば、制裁が行われることもありました。
女性は初潮を迎えた13歳、または陰毛の生えそろった15~16歳から夜這いの対象とされ、その際に儀式として性交が行われることもありました。最近まで、初潮を迎えると、近隣に赤飯を配るという習俗もありました。男性は13歳でフンドシ祝いが行われ、13歳または15歳で若衆となります。そのいずれかの時に、未亡人などの年上の女性から性交を教わるのが儀式でした。その後は、雑魚寝や夜這いで夜の生活の鍛練を積んでいきました。若者宿や娘宿は性教育の場でもあり、夜這いの前に必要な性教育が行われていました。
なお、雑魚寝や夜這いが行われると、赤ん坊の父親が誰であるのかよくわからない、という例が見られましたが、女性の家の子として、また、村落共同体の一員として、あまり気にすることなく育てられました。
源頼朝も、伊豆に流されていた時に、何度も夜間に抜け出しては、女性と神社などで待ち合わせて、密会しています。当然、そのためには、使者を通じたり、手紙のやり取りなどをして、会う約束を事前にしていたということになります。
江戸時代にも、女性の噂を聞いた男性は、手紙を送るなどして、何回かやり取りをしました。そして、お互いに「会いたい」となると、男性が夜に女性の家を訪問しました。片道2時間歩くなんてことは、ザラだったようです。
電気も無い時代、基本的に夜は真っ暗なので、こっそりと会い、求婚しました。しかし、相手の親に見つかれば、当然、怒られることもあったようです。
江戸時代には、法令、藩法、郷村規約などで、しばしば夜遊びや夜這いの禁令が出されましたが、婚姻制的な強制ではなく、風俗的な取締りにすぎないものでした。
明治になると、近代化や富国強兵の一環として、国民道徳向上の名目で、一夫一妻制の確立、純潔思想の普及を強行し、夜這い弾圧の法的基盤が整備され、夜這いは衰退する傾向にありました。
資本主義体制の発展を図り、貧農民を農村から離脱させ、都市部に吸収して安価な労働力として利用したことで、農村の男性が少なくなったことも、夜這いの衰退の原因と考えられています。また、奥深い山村などに残っていた夜這いも、メディアによって「山奥にいまなお残されている非常にルーズな男女関係の因習」と報道され、夜這いは否定的に見られるようになっていきました。
また、農村へ電灯が普及して、夜でも簡単に明かりが取れるようになったので、夜這いすることができなくなった、ということも要因としてありました。
次回は、1960年代まで残っていた夜這いの実態について、書いてみたいと思います。