髑髏本尊立川流

  • 2022-7-28
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真言立川流の僧・心定が書いた「受法用心集」(1268年)の中で、彼は「荼枳尼天(ダキニテン)を祀り髑髏本尊を仏具として使用する教団」について、この教団がする修行法を「邪行」と呼んでいます。後世において「立川流」とされる「荼枳尼天信仰」と「髑髏本尊」の組み合わせは、本筋の真言立川流とは別の教団のもので、これを作ったのは、民間で呪術などをやって稼いでいた外法坊主や拝み屋の陰陽師たちだと言われています。

南北朝時代に、真言立川流を大成させたとされる文観大僧正が、後醍醐天皇に灌頂を授け、重用されるようになりましたが、これを妬む他宗派の僧は、文観を失脚させようと、「真言立川流は淫祠邪教である」と糾弾し、経典や法具類を焼却しています。その後、室町時代に真言宗の僧・宥快が「宝鏡抄」(1375年)を著し、ネガティブキャンペーンが行われ、髑髏本尊を使用するのは真言立川流であるとされ、この混同化作戦は成功して、真言立川流は衰退しました。なお、真言立川流はその後も各地で潜行していたようで、室町時代や江戸時代の真言立川流の曼荼羅が残っています。

「受法用心集」で言及される「髑髏本尊教団」は、荼枳尼天にまつわる「外法」と称される修行法を行っていたとされる宗教団体で、教団名および宗派名は不明。男女の性行為を宗教活動の中心におき、髑髏(ドクロ=白骨化した人の頭蓋骨)を本尊とし、その前で性行為を行うことを信仰の方法としていました。

頭蓋骨に和合水(性交中に出る精液と愛液を混ぜ合わせたもの)を塗りつけ、その上から金箔や銀箔を張ったり曼荼羅を描く等の加工を行い、加工が完了すると本尊として扱われるという。本尊として完成するまでに、側でひたすら性交をするのだとか。

髑髏本尊には多大な御利益(ごりやく)があるとされますが、本質はその作成のプロセスにあり、作成作業(真言を唱えながらひたすら性交)を通じて男女の行者が悟りを得ることこそ本懐なのだという。

本筋の真言立川流と異なり、当時の権力側から世を惑わす淫祠邪教と見なされ、弾圧の対象となって、髑髏本尊教団は壊滅しました。教団側の資料は焚書に遭って存在せず、この教団についての信用できる現存資料は「受法用心集」くらいだとされています。

教団の秘法「髑髏本尊歓喜法」の内容とは、①人頭髑髏をよく洗い清める。出来れば亡くなって直ぐのものが望ましい。②真言を唱えながら髑髏に漆を塗る。美術品を扱うように美しく仕上げる。よく乾いてから桐の箱に納めて枕元に安置する、③何人もの美女と性交し、その際に溢れ出た双方の愛液・精液を髑髏に120回塗り続ける。

④毎夜12時から2時まで「反魂香」という香を焚いて、その香りを髑髏に染み込ませる。その際ずっと「反魂真言」を唱え続けなければならない(毎日千回ずつ唱える)。「反魂」とは、死者の霊魂をあの世から現世に呼び戻すことを意味する。これを1週間続ける。

⑤道場内に食物を準備し、愛の囁きを絶やさずに強壮の漢方薬を飲みながら、可能な限り濃厚な性交を続けなければならない。⑥結願の夜に、髑髏の中に秘密呪符を入れる。⑦性液と香の入り混じった強烈な臭いの髑髏の頂部に金箔を3枚張り、そこに諸仏の(交合)曼荼羅を描く。この時の絵具は男女の性液を混入したものを使う。

⑧次に開眼供養。この髑髏の唇に紅を乗せ、歯には銀箔を張る。⑨最後に玉(ぎょく)の眼球を嵌め込み、美女のような化粧を施す。⑩この開眼供養は8日目の深夜12時から夜明けまでに行う。朝6時になったら髑髏本尊を錦の袋に納める。⑪この後は髑髏を袋から出してはならない。⑫その日から7年間毎夜その袋を抱いて寝る。起きたら檀上に安置し、読経を行う。⑬本尊が完成するのは8年目。偉大な呪力が授かり、所願を成就する。とされています。

髑髏本尊教団にとって最も重要な経典は「般若波羅蜜多理趣品」で、空海が中国から日本へ持ち込んだものとされており、もっぱら荼枳尼天を拝するところに特徴があります。荼枳尼天は、夜叉または羅刹の一種で、人が死ぬ6か月前に察知し、その心臓を喰らうという女の悪鬼。ただし、密教においては、荼枳尼の法を修得した者には、自在の力が与えられるという。つまり彼らは、性交を通じて荼枳尼の法を手に入れようとする集団。その際に彼らが重視したのは、「髑髏本尊」による御利益でした。これは、髑髏に性交の和合水を繰り返し塗り込め、金箔や銀箔を貼って鼻や目を肉づけすることで得られる「本尊」で、強力な呪力を備えているとされました。

本筋の真言立川流でも、髑髏本尊教団でも、真髄は男女の性交によるオーガズムが即身成仏の境地であると解釈されています。「理趣経」には、「妙適清浄句是菩薩位(びょうてきせいせいくしほさい)」、「欲箭清浄句是菩薩位(よくせんせいせいくしほさい)」、…、「適悦清浄句是菩薩位(てきえつせいせいくしほさい)」などとあり、そこには性行為を含めて、仏や菩薩の境地に至ったならば、人間の営みはすべて本来は清浄なものであると「十七清浄句」に説かれていることに依ります。

十七清浄句を訳すと、次のような内容になります。「妙適清浄句是菩薩位」は、性愛の快楽(オーガズム・エクスタシー)は、清らかであり菩薩の境地、つまり、性愛の快楽は自然である。「欲箭清浄句是菩薩位」は、異性に性愛を求めるのは自然である。以下、男女が抱き合うのは自然、異性を抱いて離れがたく思うのは自然、性愛の喜びの声は自然、異性の身体を見たいと思うのは自然、男女交合の快楽は自然、性愛の満足を追求するのは自然、…と続きます。

次回は、密教の秘儀である性ヨーガについて、書いてみたいと思います。

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セラピスト兼カウンセラーのstar です。

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