ヨーガ(瑜伽)は元々、解脱や至福という宗教的な目的の達成のために、肉体の訓練と精神の修練を行う、という宗教的な性格を持っています。
ヨーガは、古代インドの諸宗教で行われており、仏教各派でもそれぞれ独自の修行法が発展しました。仏教の開祖であるブッダ(釈迦)も、当時はまだ未発達だったヨーガの伝統に沿って瞑想修行を行っています。
8世紀になると、ヒンドゥー教シャークタ派のシャクティ(性力)信仰から影響を受けたとされる、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す後期密教(無上瑜伽密教、タントラ仏教)が登場しました。
インドの後期密教では、それまでほとんど行われなかった性的行法が大胆に導入されました。仏の世界の女性原理を般若波羅蜜(悟りを生む智恵)とし、般若波羅蜜を性ヨーガの相手として選別された生身の女性(瑜伽女)に投影して、彼女らと性的にヨーガ(瑜伽=合一)することで、悟りと即身成仏を目指しました。すなわち、性ヨーガとは、性行為をするということになります。
性ヨーガを導入した密教が浸透していったのは、「身体のエネルギーをいったん特定の部位に集めてから脳に届けることで悟りが得られるが、その最も手っ取り早い方法が性行為である」という「最も手軽な成仏の方法」としての解釈があったからです。
このような理念を基に、例えば、「秘密灌頂」という仏教入門の儀式では、入門者は自分の妻などを僧侶に差し出します。僧侶はその女性と性行為を行い、出てきた精液と女性の愛液とが混ざった液体を、入門者に飲ませます。
この儀式の名目は、僧侶が「金剛薩埵」という菩薩に成り代わり、女性が「般若」つまり仏の智慧となり、それらが合体することで「大日如来の慈悲」が、身体から液体として現れてくる、ということです。つまり、入門者は、妻を差し出す代わりに慈悲を得る、ということになります。
性ヨーガは、男女信徒の集団で、あるいは師と弟子とマハームドラー(性ヨーガの相手として選別された女性)で、または修行者とマハームドラーで、行われました。8世紀の「秘密集会タントラ」の冒頭では、「ブッダは、一切如来たちの身語意の源泉たる諸々の金剛女陰に住したもうた(ブッダは女性たちと性ヨーガを行われた)」と説かれ、1000年頃のインドではこの経典を典拠とする修行法が流行しました。
性秘儀を行う秘密集会(しゅうえ)に専心することで、生きている間に悟ることができる(即身成仏)と説かれ、象徴を用いた儀礼が悟りに有用であるとされました。
男性と女性の性ヨーガの状態が、そのまま悟り(菩提)を象徴しているということで、チベット密教では、悟りそのものを男女の性行為の形態で象徴的に表現する「歓喜仏」のような像や画が作成されました。
「秘密集会」の意味については、「秘密集会タントラ」という経典の中で、「身語心の三種が秘密であり、一切仏が集合したのが集会である」と説明しています。秘密集会とは、秘密の集会のことではありません。身語心つまり、口に真言(マントラ)、手に印契(ムドラー)、心を精神統一して、この三密が一体としての集合に至る行法ということです。つまり、真言を唱え、指で印契を結び、一心に相手を思い性交を行うということです。
三密を一つにして、敷曼荼羅の上でひたすら性交を行い悦楽の境地に入るということなので、複数が集まれば、いわゆる乱交になったかもしれません。
性秘儀において阿閣梨の性ヨーガの相手を務めた女性は、儀式に捧げられた12~25歳の処女であるとも言われています。性ヨーガの相手の女性について、容姿と若さへのこだわりが見られ、これは教義の面だけでなく、若い美人女性を相手にしたいという僧侶の性欲の現れでもあったようです。
理念上ではもっともらしいことが言えても、実際には「秘密集会タントラ」などの経典は、僧侶が自由奔放な性行為を行う手段として使われるという実態もありました。性秘儀に差し出す女性として、若くて美しい処女ばかり求められているようでは、性秘儀は僧侶の性欲処理のための儀式なのではないか、と考える人も増えてきました。そして、宗教としての権威を失い、やがてイスラム勢力によって壊滅させられることになりました。
後期密教は、チベット仏教に受け継がれました。15世紀にチベット仏教・ゲルク派を開いたツォンカパは、密教に加えて釈迦の教え(顕教)や戒律を再評価し、教義の捉え直しを行いました。ツォンカパも、性ヨーガの元になった理念、つまり「母なる力」との一体化は評価していました。そして性ヨーガ、つまり性行為によってそれを実現できることは否定しない一方で、実際の性行為を安易な成仏の方法と見なす「性秘儀」は極めて危険で、デメリットが大きいとして、事実上禁止しました。
修行者に対して、釈迦の戒律を守るように求め、異性と交わることはやめて、性的な修行は、肉体的な快楽から切り離した「観想上」の「男女合体」を行うよう求めました。こうして、後期密教を思想面では受け継ぎながらも、実践面では厳しい戒律を遵守したゲルク派は、人々の支持を獲得し、チベット仏教の最大宗派として根付いていきました。
次回は、現代に行われているフィットネスヨガについて、書いてみたいと思います。