支配するのを好むS男性と支配されるのを好むM女性のカップル。Mだからと言って必ずしも痛みを快感と感じるわけではありません。
好きな男性に愛を感じ、ひたすら尽くそうと思っている女性。S男性は、M女性への愛情が増すごとに、加虐が激しくなっていきます。
しかし、M女性だからといって必ずしも性的なSMプレイが好きな人ばかりではありません。肉体的な被虐嗜好ではなく、精神的な被虐嗜好を好む女性もいます。
精神的な被虐嗜好を好むM女性は、S男性の愛情が嬉しいのに、肉体的な被虐は痛いだけで、ちっとも快感に感じることができません。精神的な被虐である羞恥プレイがあった時にだけ、気持ち良さを感じることができます。
肉体的な被虐嗜好を持っていないと、苦痛加虐によって、M女性は震えるほどの激痛に泣いてのたうちまわってしまいます。
M女性が、自分の嗜好を理解できず、また理解していても相手のS男性にうまく伝えられなければ、とても嬉しくてありがたい「与え」なのになぜ痛みを感じてしまうのだろう、と悩んでしまいます。
精神的なM女性が苦痛加虐行為を受け入れるのは、自らの快感を満たすためのものではなく、ご主人様と呼ばれるM男性に悦んでもらうためです。
したがって、体調や状況によっては、苦痛を快感に感じることもあり得ます。それは、愛されているという精神的なものとして、嬉しいからです。
その時の体調や状況によって、肉体的な苦痛よりも精神的な快感の方が勝ることがあるからです。しかし、痛いものは痛いので、心では全力で受けたいのに、身体はそれを拒否するかのように仰け反り、逃げてしまいます。
M女性は、ご主人様の悦びは自分の悦びだと思いながら、実際は痛がっているということは、本当は心の奥からご主人様を愛していないのではないか、と悩んでしまいます。
そんな不安が積もり積もって、SM行為中に大爆発。責めを受けて昂ぶった勢いでパニックのスイッチが入り、暴れ、泣き叫び、とんでもない乱れ方をして、その後、ご主人様に平手打ちをされてやっと我に返り、落ち着いた。と告白したM女性もいました。
行為中は快感を感じられないけど、行為が終わってから快感を感じることもあります。それは、ご主人様の好きなように思う存分に弄んでいただいて、ご主人様が満足して悦ばれている。ご主人様の愛を強く注ぎ込まれた。ということを実感できた時に、強烈な多幸感が押し寄せてきて、快感に感じるからです。
ご主様の悦びがM女性の身体に跳ね返ってくる深い快感は、経験したことのない幸福感を与えてくれます。この絶頂の形こそが、ご主人様への心からの服従の証です。このように精神的に考えることによって、快感に感じることはできます。しかし、加虐行為はやっぱり痛いのです。
S男性の中には、M女性のことを思ってプレイをするのではなく、自己の満足のために加虐プレイをする人もいます。
そういうS男性は、M女性に対して、痛みを快感に導こうとは思っていません。SM調教マニュアルなどによって、女性がそう変化していくように肉体調教を繰り返し与えればいいと、思い込んでいます。M女性の痛みが快感に変わらないことは、S男性の満足感には支障はありません。M女性の悩みにも気づかないでしょう。
気が付いたとしても、自分を正当化し、痛いのも気持ち良いのも俺が与えているものだからありがたく思え、と開き直ってしまいます。
そして、痛い思いをさせてしまってるかもしれないけど、そうやって俺のために耐えてくれて俺は俺のしたいように愛している。痛いけれど、受け取ってくれているという思いや、頑張ってくれたという気持ちが嬉しいんだ、とも。
今は痛く感じていたとしても、行為を重ねる中で、捉え方や感じ方もまた変化していくから、何も焦ることはない、と言いくるめようとします。
このような理不尽な場合でも、M女性が、精神的にも肉体的にも受け入れられるようになれば、心身ともに安定するでしょう。しかし、そうでなければ、ご主人様と相性が合わないということなので、お別れすることも考えないといけないでしょう。
彼女は、痛いままなのかもしれないけれど、痛みがいつか快感に変わることを期待して、ご主人様の前ではいつでもありのままの私を曝け出していきたい、と語っていました。
将来、苦痛が快感に感じられることを、あるいは、理解してくれる良いご主人様と巡り会えることを願って、カウンセリングを終了しました。彼女は今どうしているのでしょう。
次回は、痛みが快感に変わる瞬間について、書いてみたいと思います。