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あけましておめでとうございます
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今回は、日本の風習であった盆踊り乱交パーティについて、書いてみたいと思います。
コロナ禍までは、各地でコミュニティー事業として、盆踊りが盛んに行われていました。広場に櫓を立て、浴衣を着た近隣の大人や子供たちが集って、踊ったり食べたりして賑わっていました。子供たちにとっても、夏休みの楽しい思い出となっていました。
このような地域住民が集まって踊るという盆踊り大会は、コロナ禍で中止を余儀なくされています。盆踊りは、阿波踊りのように観光名物としてもてはやされていたり、都会においては見知らぬ隣人同士の融和策としても行われてきました。
現代では、盆踊りは性的な匂いは全く感じられませんが、本来は年に1度の乱交の場であったといわれています。
往古の盆踊りも、村の中心地で行われ、村中から人々が集まってきました。娯楽の少ない昔は、楽しみの一つとして、賑わいました。浴衣を着た男女が集まり、女装の男性や男装の女性もいて、踊り疲れた人は輪から外れ、新しい踊り手が加わって、踊りの輪はだんだん大きくなって、夜が更けるまで、踊りを楽しんでいました。
そのような中で、お互いに好意を持っている男女が、あるいは踊っている中で意気投合した男女が、頃合いをみて踊りの輪から外れ、境内の林の陰に消えていくのは、普通のことでした。
地域によっては、菅笠や黒頭巾や覆面で顔を隠して踊り、誰に顔を見られることもなく、浴衣や帯の柄で相愛の相手を確認し合って、あるいは、全く何者とも知れない踊り手同士が手の動きや足の運びなどの所作でエロチックな感情をそそり、逢い引きや出会いを楽しんでいたようです。
旧盆の頃は、月明かりで、足下も不自由なく境内の暗がりで男女が逢瀬を楽しんだようです。未婚の男女ばかりでなく、既婚の男女も配偶者とは別の異性と肉体関係を楽しむことが許されていたとか。
盆踊りには性的関係がつきものであり、それも女性が男性を選ぶという手段でもありました。元々日本では、性関係は女性の主導で行われることが多かったといわれています。歌垣や雑魚寝は、女性の積極的な意志がないと、成立しません。男女の関係は、女性が男性の気を引き、男性の目にとまろうとするような行為や儀式から出発しています。
ある地域では、女性は必ず手拭いを持って参加し、無条件で相手の意に沿うという意思表示として、女性は手に持った手拭いを気に入った男性に渡したそうです。このような風習は1961年頃まで存続していたそうです。
東京の多摩地方の盆唄には、盆踊りでの乱交をユーモラスに唱ったという民話が伝わっているそうです。縁結びで御利益のある観音堂の盆踊りに出かけた後家が良い相手を見つけたという伝説もあるそうです。
和歌山の日高地方では、盆踊りの最中に相愛の男女は婚約するのを常とし、この約束ができると、後で他からその女性を嫁にもらいたいと来ても、財産や家格がどうであろうが、娘の親は盆踊りで約束ができていると言って断り、求婚者もそれで引き下がったそうです。
長野の木曽地方では、鎮守の森の祭りの夜に限り、若い男女が市中を踊り回るという風習があり、「婿を取らずに孫を抱く」という偶謡もあるそうです。
徳島のある札所の寺では、盆の15日に盛大な盆踊りが行われ、既婚・未婚を問わず男女が大勢参集し、日常の規範から離れた盆の夜を楽しんでいたそうです。つまり、乱交を楽しんでいたということです。
大阪の三島地方では、毎年7月17日から20日まで祭礼が行われますが、この際に子がない婦人が夜に尻をまくって河原の石の上に座っていると必ず子を授かるといわれていたそうです。この風習は、見知らぬ男性との性的関係を暗示しており、現代でいう「精子提供」の場であったのでしょう。
盆踊りの乱交は庶民の文化でしたが、江戸時代に入ると、支配体制の確立のため、盆踊りの担い手であった若者への干渉の一環として、しばしば盆踊り禁止令が出されています。
また、従来祭りや踊りは村人だけに通じる楽しみでしたが、街道筋の整備や社会の安定化によって旅人が増えると、祭りや踊りを見物する第三者が増えてきて、下品だと思われたくない、あるいは良く見せたいという理由で、自然に性的な部分を廃止し、見物人が気に入るような部分だけを強調する形へと変化していきました。
明治になると、伝統的なものを捨て去り、西洋的化することが国是とされ、性風俗に関する事象は徹底的な批判に晒されました。盆踊りも、「男女群集し、市中を踊り酒食に耽り、放逸に流れる風習は、文明の今日、あるまじきこと」「風俗の乱れのもと」として禁止令が再々出されました。しかし、取り締まりに対する反発は各地で起き、警察との小競り合いはかなりあったようです。
その後、盆踊りの性格は変化し、性的なイメージは薄くなっていきました。現在の盆踊りは、いたって健全です。たまに浴衣が透けて下着の模様が見えることもありますが。
次回は、乱交の歴史、乱交の始まりについて、書いてみたいと思います。