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本来、セックスとは、興奮し、逆上しながら行うものであろうと思います。ここでペニスを挿入しようとか、ここでこんなピストン運動をしようとか、そろそろ射精してもいいだろうかとか、考えてセックスしている男性など、よほどの変わり者でない限り、いないと思います。
冷静に、挿入から射精までをコントロールしていたのでは、セックスなど、少しも面白くないでしょう。何が何だか分からないほどにのぼせ上がって、動物的に振る舞えるからこそ、セックスは開放感をもたらしてくれるのです。
とはいえ、のぼせ上がったあまり、その情熱のコントロールができないようでも困ります。粗暴なピストン運動で相手の女性に苦痛を与えたり、興奮のあまり早漏を繰り返したりでは、セックスは楽しいものではなくなります。
のぼせ過ぎると、ときには心因性のEDに襲われることもあります。その辺の事情は、性豪たる中国の黄帝も同じだったようです。
房中術の「和志」(わし)には、黄帝が玉茎を強化する方法について、素女に対して「なんとかして交わろうとするのだが、どうしても勃起せず、相手に顔を向けることができないほど恥ずかしく、玉のような汗をかいてしまう」と、肝心なときにペニスが勃起しないと訴えています。
それに対して、素女は、次のように答えています。
「女に接したいなら、そこには順序があります。まず気持ちを和らげることで、それができれば、玉茎は自然に勃起します」
心因性のEDは、精神をリラックスさせることで治すことが、一番大切であると言っています。どうやら心因性EDは、昔から男性を苦しめていたようです。
性に対する欲望とは不思議なもので、長年恋い焦がれていた相手がついに我がモノになる千載一遇のチャンスなのに、急にペニスが言うことを聞かなくなってしまうことがよくあります。緊張して、気がはやればはやるほど、駄目になってしまいます。これでは、天下の黄帝といえども、汗びっしょりになるのも、無理はありません。
現代では、各種のED治療薬があって、心因性のEDに効果があると謳っていますが、現実には、心因性のEDには殆ど効果がありません。精神的にリラックスしてくれば、効果を発揮してくれます。
房中術の「和志」の「気持ちを和らげること」という指摘は、性的なエネルギーは、ただカッカと燃やすのではなく、それをうまくコントロールすることを忘れてはならない、と戒めています。
ベッドインの前からはやりにはやって、いざ挿入となったら、暴発してしまったり、逆に勃起不全になるのは、心の準備ができていないからです。男性にとって、ある意味でセックスとは難しいものです。燃えていなければならないし、かといって暴発してもいけません。房中術が「気を和らげよ」と指摘するのも、男性に、そうした姿勢を求めてのことでしょう。
基本的には、性エネルギーをカッカと燃え上がらせることが大事なのは言うまでもありません。それがなければ、セックスは成立しません。たとえば、カーッと燃えるきっかけになるのが、キスやクンニです。衛生的に考えれば、とてもできる行為ではありませが、こんなオーラルセックスという行為ができるのは、カーッと熱くなっているからこそです。
房中術の「和志」の同じくだりでは、「女の溢れるような愛液を溜めて、口から吸えば、精気は自分の元に還って、脳髄に満ちる」とあります。
これは、男性が勃起しないときは、「女性の愛液を舐めろ」ということです。愛液を口にすることで、精神的に興奮しろ、ということでしょう。房中術は、わざわざ淫らな行為をすることによって、カーッと熱くなれ、と教えています。
最近、男性のEDが増加していると言われています。老人は別として、セックスに関してバリバリの現役であるはずの年代の男性のうち、五人に一人は、何らかの形でEDの症状を持っていると言われています。
房中術の「和志」では、玉茎が自然に勃起力を回復した後について、素女は、「いったん回復すれば自信もつき、どんな手強い女性を相手にしても、女性のほうがきっと頭を下げてまいります」と答えています。
要は、気持ちの持ち方次第です。最近は情報過多で、「セックスとはこうあるべき」とかいう他から流される情報を鵜呑みにして信じてしまった結果、「セックスは…でなければならない」という「性の公式化」を生み、ED男性を輩出しているという指摘もあります。
性的な男らしさは、猛々しさ、決断力、行動力にあり、そこから生み出される自信にあります。ただし、男性の一方的な思い込みであってはいけません。男女の「和」が必要です。どのようにセックスを行うかは、カップルで、よく話し合って、楽しみましょう。
次回は、房中術がいう「セックスの大敵」について、書いてみたいと思います。