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イスラムでは、聖職者の性犯罪は存在しません。なぜなら、イスラム教では、すべてが平等であり、神の代理人として懺悔を聞き人間の罪に許しを与えるような、神との仲介をする聖職者がいないからです。
キリスト教ではイエスは神の子、仏教ではブッダは悟りの人、ともに特別な人です。しかし、イスラム教では、モスクの礼拝導師や、宗教に詳しい学者は存在しますが、彼らは一般人であり、聖職者のような「特別な階級」の人ではありません。預言者ムハンマドですら「ただの一般の人」であり、尊敬の対象ではあっても、崇拝の対象ではありません。
性に対する考え方については、キリスト教は「食欲、金銭欲、性欲をなるべく控えよ」が教えです。カトリックの聖職者は、結婚が禁じられています。聖なる領域を司る聖職者は俗なるセックスや夫婦関係にまみれるべきではないという考え方です。それでも困らない人が聖職者になるのでしょうが、やはり、人間は欲望には勝てず、聖職者による性犯罪が起きてしまいます。
一方、イスラム教では、人間が本来持つ欲望(食欲、金銭欲、性欲)を否定しません。コーランには、性交について多くの記述があります。
ただし、イスラムでは、セックスできるのは、夫婦間だけです。婚前交渉や不倫は「姦通」として厳しく禁じられています。キスやデートも、基本、結婚までは許されません。夫婦外の関係では望まない妊娠を招いたりと、問題が起き得るからです。性は大切なものだから、夫婦という安定した関係の中でのみ楽しめ、ということです。
イスラム教は決して禁欲的ではありません。神が決めてくれたルールの中で、思う存分にセックスを楽しむことができます。なお、妻が夫との間で性的な喜びを十分に味わえない場合は、離婚を要求する正当な理由になります。妻も夫からセックスの誘いを受けたら断るべきではないとされています。ただし、体調が悪いときは断ってもかまいません。
男性は4人まで妻を娶ることができます。これは戦争未亡人を救済するのが目的でした。女性にとっては、結婚のチャンスが増えるというメリットがあります。ただし、複数の妻に対して、すべて平等に扱うのが条件です。女性のところには4日ごとに行くのが望ましいとされていますから、4人の妻がいれば、毎日セックスをしなければならないことになります。しかも、女性の求めに応じて増減することになっていますから、性欲の強い妻を持つと夫は大変でしょう。(最近は、近代化の推進につれ男女同権の考えが広まり、多くのイスラム国で一夫多妻制を制限または禁止しています。)
イスラム教の神(アッラー)は唯一で、世界のすべてのものの創造主。この世のものはすべて一つの神から生まれたものであり、すべてが等位。人間も、人種や民族の違いを超えて平等だとされています。男女も平等だとされています。
しかし、平等と言っても何もかもが同じというわけではありません。生物学的に性差はあります。男尊女卑ではなく、性差に沿った、男女に別々の権利・義務を与えています。男女の性的役割を明確にし、立場の弱かった女性を保護しているとも考えられます。
男女に上下があるのではなく、肉体的な体力に優劣があります。したがって、例えば、男性は家族の生活費を稼ぐ「義務」がありますが、女性にはありません。「男性は外で働き、女性は内で働く」という役割分担。ただし、女性が外で働くことを禁止しているわけではありません。女性が外で働いて得たお金は、家計に入れる義務はなく、女性が自分で自由に使うことができます。
女性は、髪や肌を隠すヒジャブやブルカなどの民族衣装を着て、露出を少なくしていますが、これは女性を差別したりするものではないとされています。イスラム教においては、「顔と手以外の部位を隠すこと」と「身体の線を見せないこと」の2つさえ守れば、あとはどんな服装でも自由です。
おしゃれは家の中でするもの。化粧も香水も、家の中だけ。家に帰れば、上着を脱いで、Tシャツにホットパンツ。夜はシースルーのネグリジェにセクシーな下着。髪や肌や身体は、自分を大切にしてくれる夫にだけ見せる、ということです。
髪や肌を隠すヒジャブやブルカなどの民族衣装を着るのは、美しい部分は他人に見せぬよう隠せ、という趣旨です。自分の美しさは大事な人にこそ見せるものであり、不特定多数の男を楽しませるものではない。「女性は美しいもの」であり「大切にされるべき存在」であるという自己肯定感、「女性としての自分を大切にする」という思想です。
体型のコンプレックスを隠すことができたり、肌や髪を隠すことによって、美醜や年齢から解放され、また、性的な嫌がらせを受けにくくなるというメリットもあります。
隠すことによって、価値が増し、より神秘的になって、より魅力的に見えます。男性は、神秘のベールに包まれた女性の布を一枚一枚剥いでいくことに、わくわくする興奮を覚えることでしょう。見せたい相手にだけ美しさを見せて、邪悪な欲望を抱く男には見せたくない。自分を「妻」と認め、大切にしてくれる夫にだけモテればよいのであって、不特定多数の男にチヤホヤされるのを好まない、ということでしょう。
なお、イスラム教徒の中にも過激派や変質者がおり、理想通りには行かないのも現実です。
次回は、性の宗教・真言密教立川流について、書いてみたいと思います。