性の宗教・真言立川流

  • 2022-7-21
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仏教の世界では、僧侶の性行為は禁止されていましたが、密教の一派である真言立川流(たちかわりゅう)は、性行為を認めるばかりか、積極的に奨励していました。

真言立川流は、東寺の高僧であった仁寛阿闍梨によって創始され、平安時代末期から江戸時代中期にかけて存在した日本密教の真言宗の法流です。仁寛は後三条天皇の皇子の護持僧(身体の護持のために祈祷を行った僧)を務めた僧ですが、謀反の疑いをかけられて伊豆に流されました。その折りに、武蔵国立川出身の見蓮という陰陽師を弟子にして密教の秘術を伝授したのです。それで真言立川流と呼ばれるようになりました。

陰陽道の教えでは、性行為は「陰と陽の和合」として肯定されていました。もともと日本では、新しい命を生み出す性交は神聖なものです。密教の「理趣経」という経典にも、「すべての楽しみごとは、金剛のような不変な真実である」という一文があり、仁寛は「性行為は人間性を高めるものだ」という考えに至ったといいます。

仁寛は、女性と男性が交わると「存在の二極を表す」状態になり、この状態でエクスタシーを得ることは即身成仏への道だ、と説きました。淫欲を大楽とする教えである立川流は庶民に歓迎されました。

もともと密教は、インドのタントラ聖典やヴェーダ聖典に源流を持つ宗教です。タントラは、自分を取り囲む生の営みに没頭することが解脱へ道につながるとされ、性の要素が大きい教えです。その行法として、種々の体位によって交合し歓喜に至ることによって達せられると説いています。これは、密教の経典である「大楽金剛不空真実三摩耶経・般若波羅密多理趣品」(理趣経)に記述されています。

南北朝時代には、立川流を大成させた文観大僧正が、後醍醐天皇に灌頂を授け、重用されるようになりました。しかし、これを妬む他宗派の僧は、文観を失脚させようと、「立川流は髑髏本尊を仏具として使用する淫祠邪教である」と誹謗中傷し、さらに、室町時代には、真言宗の僧が著作によりネガティブキャンペーンを行い、立川流は衰退しました。

私の知人に、学生時代であった戦時中に、山深い渓間で、有髪の女行者から「性の手ほどき」を受けるという体験をした人がいます。30代とおぼしき女行者は丸裸になると、渓流の白洲の上に笈から取り出した曼荼羅(マンダラ)図を敷き、その上で、立川流の法に従って、性のあり方を説き、そして印契(いんげい)を結び、呪句(経文)を唱えながら、いろんな性交体位を肌身を持って教えてくれたそうです。

彼は、この経験から、性は女性が主導するものであると悟ったそうです(密教では女尊男卑、仏教(顕教)では男尊女卑)。そして、この体験が起因となって、性に人一倍の興味を持ち続けたそうです。

50代半ば彼は、真言宗の僧籍を持つ故歌川大雅著「真言立川流の秘法」を読み、立川流の性修行をしたいと申し出たそうです。本来密教は教相(叙述・説法)よりも事相(修行の実践)に重きが置かれるはずなのに、事相の実態について書かれたものは殆どなかったそうですが、歌川師はそれを記した古文書を入手し、それを基に著作したそうです。

彼は、師の話を聞いて、立川流は邪教どころか自然を基調にした本音で語っているものであると知り、その源流はタントラであるとわかり、妻と実践してみようということになったそうです。そして、65歳の時、立川流に帰依する最初の儀式「灌頂」を受け、師の弟子に。灌頂の儀式は、師が彼の妻と交会し、体内にある赤白二滞(愛水と精唾)を彼が飲み下す。そして彼と妻が交合したのだそうです。

その後、彼は師の指導を受けて、事相をマニュアル化することに。師に選んでもらった性交体位は8態、呪句(真言=呪文)は9句、印契(手指で作る型)は6印。画家でもある師に描いてもらった曼荼羅図。完成してまもなく、師は永眠されたそうです。

マニュアルによると、修法(すほう=所作法)は、口伝による師資相承、「二根一体」を究極の本旨とし、男女等格である、とされています。(資=弟子)

使用する道具は、①本尊(護符紙2枚)、②修法時に顔を覆う幅100mm、長さ200mmの白布(紐付き)、③祭壇、④戒壇です。男根と女根は、清浄かつ神聖なものであり、この二根は尊崇すべきもの。これを護符紙に拓写して本尊とします。具体的には、媾合(まぐわい=性交)して精唾と愛水を良く混合し、2枚の護符紙にしみ込ませる。乾いた後に、男根と女根に紅を塗って、それぞれの護符紙に拓本を取ります。

祭壇は白布で覆った机で、蝋燭、水、塩を設え、本尊を祀ります。戒壇とは、2.5m四方の白布(この白布を敷曼荼羅とみなす)で、修法はこの白布の上で行います。

修法者は、三密を一つにし、交合の最中は雑念を払い、行為そのものに没入。心身を清めた男女が互いに相手のことだけを考えて、修行をやり遂げます。この「二根一体」は、煩悩即菩薩(開悟)であるとされています。なお、三密とは、心と口と体の3つの行いのことで、手に印契を結び、口に真言を唱え、心を三摩地(さんまじ)の境地に入らせること(精神統一)です。身口意の働きを一体化して、本尊(相手)と一つに解け合う行です。

彼は、自分の目の前で素っ裸になる覚悟の人がいれば、いつでも教えてあげると言っていましたが、実現しないまま、2015年春、94歳で永眠しました。

次回は、髑髏本尊を使用するいわゆる立川流について、書いてみたいと思います。

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セラピスト兼カウンセラーのstar です。

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