歌垣は乱交の始まり

  • 2023-1-11
  • 歌垣は乱交の始まり はコメントを受け付けていません

[PR] 真面目に命や性について学ぶことができ、また性の楽しさを学ぶことができる女神館

各地の風土記や万葉集によると、当時の庶民の間では恋の歌や愛の歌が盛んであったことが分かります。その大がかりなイベントに「歌垣」(うたがき)と呼ばれるものがありました。

若い男女が近くの山に登り、気が合ったらその場で性的な関係を結ぶという風習がありました。お互いに見知った同士が、あるいは見知らぬ同士でも歌を交換するうちに高揚してくれば、その場を離れて二人だけで関係するというのが、歌垣であり、これが日本の乱交パーティの始まりといえます。

万葉集には、「私も人妻と交わろう、他の人も我が妻を誘って欲しい」という意味の歌が収められています。歌垣の日は、未婚の男女だけでなく、既婚の男女も大いに性的な解放を満喫できる日でした。

常陸国風土記によると、春の花咲く頃と秋の紅葉の頃には、男女が筑波山に登って、一緒に飲食を楽しんだと記されています。また、筑波山の歌垣で会おうと約束した女性が誰かに口説かれてしまったらしく会えなかったとか、筑波山の歌垣で泊まりにきたのに女性なしで一人で寝るのは夜も早く明けるだろうなど、フラれた男性の嘆きを詠んだ歌も記されています。

常陸国風土記や万葉集が成立した頃には、その場で出会った男女が性的関係を結ぶという風習が既に定着していました。

また、歌垣は売春の始まりであったという説もあります。常陸国風土記には、歌垣で乱交に参加して男性と交わった女性が男性からもらう財物が少ないと親が娘とは認めないという一節があり、親による売春の強制があったことを示しているといわれています。歌垣は「性の解放」だけではなかったようです。

常陸国風土記には、遠く離れて住んでいた美男美女が、お互いの名を聞いて思い焦がれ、年月を経て歌垣の場で偶然に出会い、お互いに歌を詠み合い、二人の思いが全く一つであることが分かると、二人だけになりたくて歌垣の場を抜け出し、性の歓喜に我を忘れたという記述もあります。初めての関係に酔いしれた二人は、裸のまま眠り込んでしまい、朝になって鶏の声で目が覚めると陽が差し込んでいて、あまりの恥ずかしさに固まってしまい、松の木に化してしまったとか。

万葉集には、田舎から出てきた夫婦が住吉で行われた歌垣に参加して、妻の美貌が他の女性に勝っていたことから、夫は改めて感激し、ますます妻を愛するようになって、妻を褒め称えて詠んだという歌が記されています。

それぞれに、当時の人々が一夜の恋のために注いだ情熱が歌に込められています。まだまだ読み書きができない人が多い時代なので、文字の書ける少数の人が熱心に書き留めたと思われますが、読み書きができなくても、情熱があれば素晴らしい恋の歌が作れるという証でしょう。その情熱の源は、歌垣という名の乱交パーティだったのです。

歌垣は、出会った男女が即興の歌による掛け合いをして、男性に負けた女性はその意に従い、女性が男性を歌で負かすことによって性的関係を拒否することも可能でした。

奈良時代に入ると、歌垣は「踏歌」(とうか)と呼ばれるようになり、群衆参加の行事となりました。興が乗ってくると、男女の中から我と思わん者が進み出て即興の歌を披露し、相手方からも一人が前に出て返歌を披露し、歌の応酬が始まったそうです。

女性が負けたら相手の男性の意に従うということもあったそうです。歌に共感した人が床や地面を踏み鳴らすという、ストリップの元祖といわれる天鈿女命(あめのうずめのみこと)さながらのエロチックな踊りが「踏歌」の語源であるとされています。

しかし、踏歌が宮中の儀式として定着すると、一人の男性と一人の女性の掛け合いであったものが合唱となり、エロチックな雰囲気が剥ぎ取られてしまいました。そして、和歌という特異な文化へと発展していきました。

一方、庶民の文化であった歌垣という名目で行われていた夜祭りの歌舞については、「酒を飲み、男女の別なく酔い乱れ、姦を事とす。上下の秩序は乱れ、淫奔を追い求めて法に違い、俗に流れている」として、畿内では厳しく禁止されたという記述が、「日本逸史」798年10月の項に記されています。

各地の風土記や風土記逸文でも、毎年春と秋に、あるいは折々に、集まって、酒を飲み、歌い舞って、心惹かれる男女が一夜をともにしたことがうかがわれます。

歌垣という性的な行事は、村の祭りの中でも伝承されています。祭が近づくと、村の若衆は女性を口説き落とすための歌作りに夢中になり、女性たちはそれをいなす文句を用意する。男女とも参加者はきらびやかに着飾り、女性は男性から声がかかるのを待っているといいます。数度かの歌の応酬の後、女性が負ければ男性の意に従い、乱交となります。

親の立場から、娘に言い寄る若衆がいなかった場合に備えて、娘に恥をかかせないよう、密かに他村の若者を連れてきて、養子の名目で村人として、娘に言い寄るよう仕向けることもあったそうです。

次回は、乱交が行われていたという雑魚寝の風習について、書いてみたいと思います。

この記事の著者

Avatar photo

star

セラピスト兼カウンセラーのstar です。

美容と健康にとても効果のあるsexが楽しめるよう、お手伝いをしています。

この著者の最新の記事

関連記事

ページ上部へ戻る